家族史

JPN302

4月18日

ユーヒョン・キム

家族史

            家族は人生でいなくてはいけない人生の大事な一部分だ。昔は、祖父母と親が同じ家で一緒に住むことが普通だったが、最近は昔とは違って核家族やシングルマザーなどのいろいろな形態の家族が増えている。私の家族は大家族とは言えないが、核家族化が深刻な現代社会の他の家族達に比べて、結構家族の数が多い方だ。私は韓国で父、母、姉、妹、そして、私この五人で一緒に住んでいる。母の方の祖父母はなくなってしまったが、父の方の祖父母は田舎で住んでる。

実は、私は母の方の祖父母についての記憶があまりないが、祖母は母が高校の時に亡くなってしまったそうだ。祖父は私が小学生の時に亡くなってしまって、祖父の葬式にお母さんが泣く事を見て私も一緒に泣いた記憶がある。母によると、祖父は祖母の誕生日に亡くなってしまったそうだ。

父の方の祖父は七十三歳で、祖母は七十二歳だ。私の家族は少なくても元旦や感謝祭みたいな祝日には絶対に祖父母に会いに行く。でも、韓国では祝日に皆が家に帰るから、高速道路はすごく込んでいる。道路が込んでいて八時間もかかった事があるから、朝早く出発しなければいけない。長時間車の中にいるのは苦しいが、着いた時私達を喜んでくれる祖父と祖母がいるから長時間の車運転も我慢できる。それから、祖父と祖母は農事をするからいつも米や野菜をもらう。両親はいつも祖父と祖母が健康に良い食べ物を送ってくれるから感謝している。

祖父は知識が豊富でお酒を収集するのが趣味だ。祖父は父を口癖が一緒で、祖父と話していたら、まるで父と話している気がする。祖母は歌がすごく上手で、歌の大会で賞をもらったこともある。お母さんによると、私は祖母に似ているそうだ。私の姉は背が高いが、私は背が短い。これは私が祖母に似ているからかも知らない。祖父母の家に行く度に、祖母は私がもう腹がいっぱいだから食べられないと言ってもおいしい食べ物や果物を引きも切らずあげようとする。

父は五十歳で、主にゴルフ場を作る建設会社を経営している。父は大学で土木建築学を専攻した。卒業した後、小さい建築会社に就職をしたが、あの会社は父が就職したすぐ後つぶれてしまった。それで、父は友達と一緒に建築会社を作ったが、あの会社もIMFのせいですぐ倒産してしまった。父はあきらめないで一人で小さな建設会社を作った。父の会社はその時から少しずつ少しずつ発展して今の会社になった。父は誠実で今も自分の仕事に熱心だ。父はサッカーとゴルフが大好きでよくテレビでサッカーやゴルフのゲームを見る。父は楽天的で困る時にも落ち着いているから、何回の失敗にもあきらめないで、自分がやりたいことを続けられたと思う。

母は四十九歳の主婦で、一週間に二、三回はお寺に行って坊さんのお話を聞く。そして、母は「仏教大学」と言う仏教に関する勉強をしたがっている学生達のための学校みたいな施設で奉仕活動をしている。私の母は節約生活を重要視して、すごく保守的から私とよく喧嘩する。でも、節約する母がいるからこそ今の家族が楽な生活ができると父はよく言う。そして、母は自分の意見や気持ちを正直に表現する方だ。例えば、母と一緒に買い物に行ったら、母は「あの服はあなたには似合わないからだめ」と言ったり「太って見える」と正直に話してしまうから、たまには正直な母の表現で気持ちが悪くなる時もある。しかし、時々、正直な母の意見がむしろ役に立つ時もある。母はすごく保守的で、姉にボーイフレンドができた時、母はすごく反対してた。今は私や姉が理性友達と付き合うことは反対しないけど、姉の彼氏のことが気に入ったことではない。節約を大事にする母だが、昔から本やワークブックにかかるお金だけは惜しまなかった。母は教育を重要視して、いつも私達に最高の教育環境を作ってくれようと努力する。今、私がアメリカで留学をしているのも教育を重要視する母と高い授業料を払ってくれる父のおかげなので、その点は本当に感謝している。

姉は二十三歳で、広島にある女高を卒業してからアメリカのインディアナ州にあるインディアナ大学で勉強している。子供の時には姉と喧嘩ばかりしたが、高校の時からはすごく仲がよくなって今は姉に何でも話せるようになった。特に、両親に話せない問題はいつも姉に相談しているが、そうする度に姉がいてすごく幸運だと思う。表では強く見えるが実は誰よりも心が弱い人だ。実は、姉をきっかけで日本語の勉強も始めた。姉は今学校を休学して、韓国でアルバイトをしながらミュージカルの塾に通っている。昔から歌を歌うのが好きだったから、今はミュージカル俳優がなる事が夢だ。初めには親の反対が激しかったが、アルバイトで稼いだ自分のお金で塾に通っているから親ももう反対していない。私とは違って自分の夢を追っている姉を見ていたら、まだ何をすれば良いか分からない私には姉の勇気が少しはうらやましい。ミュージカル俳優と言う仕事は、何年間熱心にミュージカルの塾に通ってもいつ大きい舞台で公演できるか決まっていないから、ある程度ミュージカルに対する愛情がなければできない仕事だ。いつも彼女には悪戯ばかりだが、実は姉のことを誇らしく思っている。

妹は十三歳で、今韓国で中学校一年生だ。妹は家の末っ子で両親の愛と関心をいっぱい受けながら育ったから、情が深くて涙が多い。いつも、赤ん坊みたいで学校でいじめにあったらどうしようかと心配したが、最近は少しでも成長した気がしてほほえましい。私や姉とは年齢差が大きいから、あまり遊んでくれる事ができなくて済まないと思っている。私と姉は留学で家にないから妹は時々寂しくなるそうだが、いつも活力にあふれる妹がいるから親がもっと寂しがらなくて幸いだ。

最後に、私は韓国の首都のソウルで生まれて、十五歳まで韓国で育った。今、五年半目アメリカで留学している。中学生の時から家族と別れて留学をしたから私には家族の存在が特に哀切だ。最初にアメリカに行った時には電話で母や父の声を聞くだけで涙が出た。私と仲が悪かったホストファミリーと一緒に住んでいた時には留学をやめようかと思ったこともあるが、私が外国で勉強できるように高い授業料を払っている父と母を思ったらやはりこんなことで文句を言ったらだめだと思った。しかし、アメリカの生活に慣れてからはアメリカの生活が楽しくて、お金が必要な時か授業や友達の事で困っている時だけ家族を要する自分を気が付いた。同時に、家族は私がどこにいるか、どのぐらい悪いことをしたかにかまわなく、いつも私のことを応援したり、心配したりすることも分かった。

もう一つ、韓国で住んだ時には、離婚した家庭やシングルマザーはドラマの中の話だけだと思った。アメリカに行ってから離婚した家庭や母が一人で子供を育てる場合が思ったより多くてびっくりした。それを見てから、私がどれくらいに幸運な人かが気付いた。留学で家族と一緒にいる時間は少なくなったかも知らないけど、家族の大事さを誰よりも早く気付けるようになったから、その点は本当によかったと思う。

実は、このレポートを書きながら今までどのぐらい家族について無神経だったか反省した。特に、祖父や祖母のことについては知ってることが本当に少なくて恥ずかしかった。今までは、祖父母は家が遠いから、留学中だからと思いながら弁解をして来たが、今からは時間をさいて祖父や祖母を会いに行くようにしなければいけないと思う。そして、いつも私のことを応援してくれる家族があって私は本当に幸せな人だと思っている。今まで恥ずかしくて家族にちゃんと伝えなかった感謝している感情をこれからはもっと積極的に表現して、私に家族がどれほど大切な存在かを知らせてあげたい。

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